母が旅ち20日目です。いい加減しっかりしなくてはと思っています。多くの方から励ましや、慰めや、叱咤激励をいただきました。父も亡くなっていますから、先日は彼岸の墓掃除に帰省いたしました。
母もきっと気にしているので、お父さんの所にお掃除に行ってくるよと伝えていきました。父は母のことを心配していると確信しているので、早めに帰ってきて母の導きをしているとは思います。
でも、祖父や祖母のこともあるので墓掃除しました。なぜかその翌日熱を出し、二日間寝込んでしまったので、何かが足りなかったのか。。。意に添わなかったのかと考えていますが、まだ気が付きません。そこで、気合を入れようと昨日髪を切ってきました(笑)
少しでも前向きになってしっかり進めるように気分を変えたのです。そしてやっと今日、保険関係の手続きに手を付けました。明日は銀行関係です。
人は生まれるときと死ぬときは誰でも一人なんだけれど・・・生まれてから死ぬまでには多くの人に囲まれています。私が死を真剣に畏れを持って受け入れるようになったのはかなり遅くて、大切な人が・・・私は一生ずっとそばにいると思っていた人が亡くなってからです。そう。好きだった人たちが今日まで何人も二度と声の聴けない世界に旅立っていくことが重なった、そしてそれを知った日からです。25年前です。
ところで、「葉っぱのフレディ」という絵本をご存じですか?生きるとはどういうことか、その先に在る死という世界とは何で、死への恐れや、今を生きているということを、フレディという1枚の葉が考え悩んでいくという・・・確かそんな風な絵本でした。この本を読んだとき胸が苦しくなり、涙が止まりませんでした。今大人として、人生を歩んできて、大切な人の死に何度も向き合ってきたのですが、悲しみともどかしさと後悔はいつでもどんな時でも私を長い間苦しめます。どれだけ向き合っても一つとして同じ感情もないし、同じ後悔もない、そして同じなのは涙の数です。これだけは比べられない同じ量です、散々泣いた後に考えることも同じ、私は命を全うして、いつか川を渡った時にみんなに会えるのだろうか、残った人たちを陰から見守ることはできるのだろうか??
幼稚園の時、交通事故にあいました。ほとんど危篤状態だったそうで、両親はあきらめに似た気持ちで私のそばにいたそうです。そして約一週間が過ぎたころ、私は「うどんが食べたい」と言って目覚めました(笑)
うどんは大好きですが、何故うどんと言ったのかそれはこんな体験をしたからです。
私は幼稚園の時1年間で2度の引っ越しをしました。なので、1年間に三つの幼稚園に通いました。二つ目の幼稚園でとても仲良くなった子がいます。まだ6歳だったけれど大切な友達になりました。えいこちゃん。えいこちゃんのお家はお蕎麦屋さんでした。父が時々一緒にえいこちゃんのお家におそばを食べに連れて行ってくれました。ある日、父と母が大ゲンカしました。父は私の手を引いて、おじいちゃんのところに帰るぞと言いました。私はえいこちゃんに会ってからと言いました。その時に食べたのが温かいうどんでした。冬だったのです。でも寒くて私はおもらしをしました( ;∀;)父は仕方なく私を連れて母と妹がいる家に帰りました。母は泣きながら私を着替えさせました。(2人の別れる)はそのままうやむやになったようでした。私はあの日食べたうどんが忘れられません。
そしてほどなく3度目の引っ越しが行われました。英子ちゃんに会えなくなることはとても辛かったです。今でも悲しい。
次の引っ越しは冬でした。そこで私は暮れに母のお使いに行き交通事故にあったのです。
気が付くと、私はきれいなお花畑にいました。でも川の向こうはもっと奇麗でした。川も私でも渡れそうな浅い感じでとても透き通っていて、向こうのお花はもっともっと奇麗でたくさん咲いていました。河原には奇麗な石もたくさんあり、手に取りたくなりました。この石を並べたら向こうに行けるかしら?とそう思いました。そして石を集め始めて少し経った頃、川の向こうに着物をきたお婆ちゃんがこちらを見て何か言っていることに気が付きました。
「なに~??」と声を掛けました。
「早ようお母さんのところにかえりんちゃい(帰りな さい)」「おなかがすいたじゃろう、食べたいもんがあろうが(お腹が空いたよね、食べたいものがあるよね)お母さんに作ってもらいんちゃい(作ってもらいなさい)」「こっちに来ちゃあいけんので(こちらに来てはダメ)」
三歳まで住んでいた岡山の言葉です。そして私は「うどんが食べたい」と言って目覚めたのです。目覚めてから、声をかけてくれたお婆ちゃんの特徴を話しました。着物の柄やヘアスタイル、顔の特徴、両親は涙を流していました、その人は私のひいおばあさんだったそうです。私は勿論会ったことはありませんが、両親はそのまま受け止めてくれました。私の命は曾祖母に助けて貰ったものだったのです。本当に不思議です。でもその時から漠然と死後の世界というものを感じて生きてきました。なのに大人になって、身近な大切な人が向こうの世界に行ってしまうのに、私は2度と会うことができません。では私が向こうに行ったときに、こちら側の人を見守ることはできるのでしょうか??ずっと私につき待っとっている釈然としない思いです。
身近な人がどんどん旅立っていき、自分も歳を重ね、その都度たくさんの後悔が押し寄せる。その度に私は少しでも成長しているのだろうかと自分を見つめ返す。そして毎日のルーティンが徐々に変わっていきます。少しでも丁寧に、少しでも大きな瞳を持とうと思います。

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