イメージと本質のギャップ
「〇〇って本当に一所懸命だよね」「いつも肩に力が入っているよね」「まじめすぎて疲れない?」「もっと力を抜いてみたら?」「あんたは天使か?」
どれも誉め言葉ではない。私にとっては長年苦しめられた言葉の数々だ。普通にしゃべっているつもりでも「固いね」とか「理想はね」とか言われると口も心も閉ざすことになる。本音で今思っていることを語り合える友人は本当に数少ない。彼女たちは私の宝物だ。仕事が変わっても、環境が変わっても、心を許して話ができるし、話してくれる。だから苦言も素直に受け入れられる。
他人には私は理想論を語るお堅い人、そんな風に見えるんだなぁ・・・😢と本当に悲しくなる。私も一人の未完成な人間で、世の中を長年生きてきて、多くの経験もした。一生懸命することもあれば手を抜くこともある、そんなの場合によりけりだ。四六時中、力いっぱいで歩いているわけでもない。おそらく根は真面目なんだろうとは思う。ルールがあれば最低限守る。というか、自然とその枠に入ってしまうし、大きく枠から出ることもできない。
けれど私は悪魔だ、天使になんてほど遠い人、嫌いは嫌い、嫌は嫌だ。怒りの感情やイライラも過剰に感じる。ただ、反省はする、「反省だけは誰にもできる」と前に誰かに言われたことがある「反省したら変わらなきゃ」とも。でもなかなか変われない本質がある。私は前向きに考えることを実行しているのだがもしかすると変われないのはこのせいかもしれない。
また、別の視点で考えてみようともする。これは長年の仕事で培ったやり方だ。なんで彼女は怒ったんだろうと考えてみるとか、何が彼を苦しくさせているんだろうとか、自分にない感情や痛みを想像してみる。完全にわかるわけではないが、もしかするとという別の考え方や、自分が発した言葉の別のとらえ方が見えてくることがある。
失敗はしても、それは時間が戻せないので、思い返してみる。風水や、占いや、自然療法や、目に見えないけど確かにとうなずくことが多いそれらの中で、ポジティブ思考の話が何度も出てくる。夢をかなえた人たちも口に出すことが大切という。自分にとっても人にとっても良い言葉は大切なんだと思う。
今日も、私は手を抜きつつも、だらだらしつつも歩き続ける。「まいっか」人に見られることを気にするのではなく、自分らしく、自分流に少しずつでも悪いところを調整しながらやって行こう。

